働きざかりの中高年脳卒中闘病記(灯病記:高血圧は命にかかわる病気です)

46歳にして、突然に襲ってきた脳出血という予期せぬ大病。発病後10年経過し、振り返りまとめてみました。病と闘った闘病記ではなく、自分自身をどこかに導いてくれる灯台のように感じましたので灯病記としました。


 

脳内出血発症から5ヶ月経過後社会復帰(職場復帰)できました

7月末に脳内出血を発症し、5ヶ月経過した次の年の1月に

社会復帰(職場復帰)することができました。

まだ自家用車通勤が認められなかったのでバスでの出社となりました。

 

5ヶ月ぶりの職場は以前と何も変わっておらず

杖をついて歩かなければならない自分だけが大きく変わっているように感じました。

発症当時にはどこまで回復できるのかわからず不安な毎日を過ごしていましたが、

何とか社会復帰(職場復帰)まで回復できたことに感謝するばかりでした。

 

脳内出血という一歩間違がえば、レッドカード一発退場でもおかしくない

重大疾病だったわけですから、神様から今までの生き方を

根本的に変えなさいという忠告だと考えるべきだったと思います。

 

しかし、言語障害がなく、右半身に障害はないので

以前と変わりない業務が可能だと思う気持ちから離れられないのです。

 

 

多くのものが、2:8の法則でなりたっていると言われています。

これを組織に当てはめると2割の社員が8割の売上げをあげていることになるのです。

いいかえるとできる社員2割が、売上げの8割をあげるということです。

では2割の社員だけでいいのかと2割の社員だけにすると

その2割の社員の中が2:8になるのです。

 組織はできる人間だけでは成り立たないのです。

 

私は、脳内出血発症までは自分を2:8のだと思ってやってきました。

評価はわかりませんが、自分ではでありたいと思っていました。

そのため他の人にも考えを押しつけ、思いやりを持った対応ができていませんでした

 

その気持ちが自分自身を成長させた部分もありましたが、

脳内出血の原因の一つストレスになっていたと思われるのです。

 

自分では以前どおりの業務が可能だと思っていたのですが、

当選ですが、周囲や会社の評価は反対でした。

モア&モアで生きてきた私には、組織の中で評価されなくなったことは

とても寂しく感じました。

 

40歳までは求めてつかみ取る人生、40歳をすぎると離して捨てていく人生を

目指すことが大切だとはわかっていても、

ちっぽけなプライドさえ捨てることができなかったのです。

 

私はせっかくの神様からの忠告がわからず、逆の方に人生の舵を切ってしまいます。

もちろん、後悔はしていないのですが、振りかえってみて意味がわかるのでした。

                             <続きます>