働きざかりの中高年脳卒中闘病記(灯病記:高血圧は命にかかわる病気です)

46歳にして、突然に襲ってきた脳出血という予期せぬ大病。発病後10年経過し、振り返りまとめてみました。病と闘った闘病記ではなく、自分自身をどこかに導いてくれる灯台のように感じましたので灯病記としました。


 

ど根性リハビリ(リハビリ室の主になりました)

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 この時期以降、必死になってリハビリに取組みました

  

リハビリを必死になってやれた理由

 ・脳内出血発症は自己都合(原因)であり、生活がかかっていること

 ・担当医の方から、回復の目安説明が得られなかったこと

・勤務先の上司から、早く職場復帰して欲しいとの激励をもらったこと

・リハビリは半年が勝負と聞かされたこと

・少しずつではありますが、リハビリの効果がでて前向きに

 考えることができるようになれたこと

 

本当に全く動かない状態から、指にしても、足にしても、

少しでも動かせるようになるには、本当に想像を超える苦しさが、ありました。

正直つらかったです。

 

親指が少し動いて、1週間後に、人差し指が、

少し動いてというように、気の遠くなるような話です。

少しずつ、本当に少しずつ各箇所が、動くようになりました。

左手の親指から小指が別々に動くようになるまで、1ヶ月かかりました。

 

病院のリハビリも、午前中は、OT(作業療法訓練、主に上肢の訓練)、

午後は、PT(機能回復訓練の略、主に下肢の訓練)で

各1時間合計2時間行われるのが通常です。

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リハビリ以外することがないのと。

入院していた病院では、リハビリ室を使用する患者さんがあまり多くなく、

アットホ-ムな雰囲気であった為、

決められた午前中1時間、午後1時間の時間以外も食事の時間を除けば、

ほとんど、リハビリ室にいて、自主訓練をしてました。

 

他の入院患者さんは、午前と午後に1時間リハビリ室に来るだけですが、

私は、ようするに朝から夕方までリハビリ室にいてリハビリをしていたのです。

転院するころには、自分のCDを持ち込んで好きな音楽を聴きながら

リハビリするほど、すっかりリハビリ室の主になっていました。

これは、入院していた病院がリハビリの患者さんが少なく、

スペースに余裕があったため

他の患者さんの迷惑となることがなかったためです。

普通の病院なら断られていたと思います。

リハビリのOT、PTの先生も感心するほどでした。

再び脳内出血を発症したとしてもあのリハビリは到底できないと思います。

 

入院後、話すことに支障はなかったので、多くの方が見舞いに来てくださいました。

そして、すぐ仕事も大丈夫と軽口を言って、励ましてくれる人もいました。

本人は、とてもそんな状態では、なかったのですが。

 

 しかし、脳の右側の出血であった為、言語に障害がなかったこと、

記憶判断力も大丈夫でした。

利き側である右半身が、以前どおりであった事は不幸中の幸いでした。

 

このことは、その後いろんな方の症状を観る度に、

何回も深く感謝した事となりました。

 また、支店長から「時間がない。激しいリハビリをするように」

という言葉も励みになりました。 

 

そんなリハビリの甲斐があり、1ヶ月後の転院時には、

座っていれば障害があるようには見えず

また車イスから立上り数歩ですが、

杖を使って歩行可能な状態まで回復することができました。

 

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