働きざかりの中高年脳卒中闘病記(灯病記:高血圧は命にかかわる病気です)

46歳にして、突然に襲ってきた脳出血という予期せぬ大病。発病後10年経過し、振り返りまとめてみました。病と闘った闘病記ではなく、自分自身をどこかに導いてくれる灯台のように感じましたので灯病記としました。


 

リハビリ本番の開始(急性期のリハビリ)

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OT、PTのリハビリテーション専門職の力をかりて

いよいよ本格的な訓練の開始です。

  

OTでは最初に感覚調査を行いました。

麻痺は運動機能だけでなく、感覚麻痺をも伴っているのです。

熱い、痛いとかの感覚も麻痺しているのです。

 

熱い感覚がわからなければ火傷をしても平気になってしまいます。

また、触られただけで痛みを感じる場合もあります。

感覚が過敏になっているためです。

 

私の症状は、麻痺に加えて

左の手ひらの痺れと左足首の痺れ、顔面の左半分の痺れがありました。

触れられると少し痛い感じでした。

当初から幾分よくなりましたが、痺れは今でも残っています。

 

これは、神経細胞が破壊される時に、

最後の自己防衛で痺れという感覚を残そうとするためにおきるそうです。

神経を過敏にして、破壊されるのを防ごうとするのだそうです。

 

この痺れが取れたらとすっきりするのにと何回も思いました。

痺れが激しい場合は、脳を開頭して手術をする方法もあるそうですが、

そこまでリスクを負うほどの痺れではありません。

しかし、発症してからすっきりした気持ちにはなれていません。

 

次に、動かない左腕や左手を柔くするために、ストレッチをしてくれます。 

OTの先生は、専門学校卒業後3年目位で

自分の娘とあまり歳のかわらない若い女性でした。

 

大変不謹慎ではありますが、若い女性が毎日手を握ってくれるなんて、

この歳になると、有料以外に、そうそうある話ではありません。(^0^)

真偽は別にして、若い女性のパワーが回復に寄与したと

私は、勝手に信じております。(^0^)

 

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 次に全く動かない左手指を動かす訓練です。

何かをつかもうとするとき、

手ばかりでなく、腕も同時に動かす必要があります。

これが、何ともつらく、うまくいきません。

 

1日目は、腕を固定した状態で

左手の親指第一関節が少しだけ動くようになりました。

思いっきり自分の指に動けと指令をだすのですが、

かすかにしか動いてくれません。

 

冷房の効いているリハビリテーション室ですが、

動かない指を動かそうとすると汗だくになってしまいます。

午前中のOTが終わるといつもシャツを着替えなければなりませんでした。

左手が思うように動かない状態での着替えもけっこう大変なのです。

 

午後からのPTでは、

まず、車椅子からリハビリベットへ

リハビリベットから車椅子へ

移動することがもっとスムーズに行えるように訓練です。

 

この移動がスムーズに行えるようになると

トイレ内の移動が楽になります。

最初は、30分くらいかかっていたトイレ内の移動も

この訓練のおかげで、簡単に移動できるようになりました。

 

ということで、

1日目のOT、PTは、終わりました。