働きざかりの中高年脳卒中闘病記(灯病記:高血圧は命にかかわる病気です)

46歳にして、突然に襲ってきた脳出血という予期せぬ大病。発病後10年経過し、振り返りまとめてみました。病と闘った闘病記ではなく、自分自身をどこかに導いてくれる灯台のように感じましたので灯病記としました。


 

脳内出血リハビリ開始(少しでも早いリハビリを)

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発病から1週間ほど経過して脳の状態が落ち着いてきたので

ベットまで理学療法士の方がきて下さって

ベットの上でリハビリが開始されました。

  

といっても、左半身は相変わらず動かないので、

理学療法士の方が、膝や手、指、腕を曲げたり伸ばしたりと

ストレッチのように動かせてくれるのです。

 

それでも、かすかにですが、

指や足が動くようになり、

また、右半身だけを使ってベットから車椅子に、車椅子からベットに移動する訓練を行い何とか自分でトイレにいけるようになりました。

この移動方法はかなりすごい方法でした。

常時車椅子が必要ということになれば、

この方法をマスターしておく必要があります。

 

この頃はまだ寝返りをするのも容易ではなく、

本を読むのも、右手しか使えない為、長時間の読書は苦しく、

ただ不安な気持ちでいっぱいでした。

 

疲れて、昼間もよく寝ていた時間が多かったように記憶しています。

昼間眠ってしまうと夜は、不安感もあり眠ることができず、

睡眠薬を服用してよりやっと眠ることができる状態でした。

 

朝目がさめた時、いつも元の体に戻ってないか?

と淡い期待をいだき、自分の体を触り現実に引き戻され、

深くため息をつく毎日でした。

 

ため息ばかりをついていると

朝食事の用意してくれる看護助手の女性から

「ため息ついたら幸せがにげるよ。」

とよく戒められました。

 

しかし正直

「このままの体でこれからずっと生きていかなければならないのなら、

死んだほうがましだ」と考えていました。 

 

何故自分にこんな不幸が、襲ってくるのか?

せめてあと10年普通の体でいたかった。と痛切に願いました。

「夢なら覚めてくれ」

とそんな気持ちは、1ヶ月くらい続きました。

 

脳内出血の症状は左半身の麻痺だけで、言語障害はなかったので、

意思の疎通は今までどおりに行うことができました。

しばらくすると、多くの方が見舞いに来てくださいました。

すぐ仕事復帰できると軽口を言って、励ましてくれる人もいました。

本人は、とてもそんな状態では、なかったのですが。

 

しかし、脳の右側の出血であった為

  • 言語障害が全くなかったこと
  • 記憶や思考、判断力の高次脳機能障害もなかったこと
  • 左半身麻痺なので利き腕である右手が自由に使えるこ

 箸も今までどおり使えますし、字を書く事もできます。

このことは、その後、脳卒中のいろいろな後遺症を観る度に、

何度も深く感謝しました。

 

また、当時の上司から「時間がない。早く職場復帰して欲しい」

という嬉しい言葉もいただきました。

 

少しずつ前向きな気持ちも生まれてきて

本格的にリハビリを開始することとなりました。

 

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